久しぶりに大作

 「博士の愛した数学」をよんだ。数学の知識など、数学の学者からみれば、私は米粒分にも足らないかもしれない。題名から、固いイメージがあるものの、中身はせつなく、悲しい。
 博士は、80分しか記憶ができない。初めてあって、話しても、80分たってしまえば、また初対面なのだ。1時間20分ごとに初対面。そして自己紹介かと思えば、博士は靴のサイズなどを聞いてくる。 普通の人が、お名前は?と聞くのを、博士は必ず、数字のつく質問をしてくる。そして、あるときは数学を諭す。
 数学をこよなく愛する、数学マニア、私の身の回りにいる、数学が大好きな先生。ある意味、数学の天才と呼ばれている。彼は、とても良くできるため、何も知らない私たちは時についていけないときがある。ここで生まれるのが、偏見だ。できない=どうせ無理だ。このような逃げの考え方を持った人が抽象的な発現をすることさえある。これは大いに間違っている。わからないからわかるまでトコトンやる、それが数学だ。国語と違って、答えはある。ある意味で一番簡単な教科なのだと、昔誰かが私に言った。
 この本に出てくる、博士があまりにもその先生に似ているため、またその先生を私は尊敬しているため、なんだか悲しくなった。
 
 こんなに、悲しく切ない本を読んだのは久しぶりだった。最初は、読む本がなく、映画化するということと賞を取っているということで、とてつもなく適当な理由買ったのだが、とても素晴らしい本だった。
 私は、文型も理系もどっちつかず名人間で、しいて言えば、あいまいな人間なのかもしれない。でも、今は理系が勝っているのだが、国語は好きなのだ。良く今もわからない。けれども、この本で、数学は美しいと思える。数学が好きとか、楽しいとかではなく、美しいっと思うのだ。博士を愛せる、かならずそんな本。

博士の愛した数式

博士の愛した数式