電化製品危機一髪

 何年かに一度、電化製品が壊れる年があり、小学校5年生のときは、洗濯機など生活必需品が壊れてしまって困った日があった。(笑)そして、去年は長く使った愛用の掃除機それから、アイロンが壊れてしまった。どれもこれも、母が大事に長く使ったもので、ありがとうという気持ちで終わることができたそうだ。
 もし、変に短く善くないものであれば、壊れたとき嫌な気分になるが、いい物を買って、長く使ったほうが最後にいい気分になるんだなと。
 新しく来た掃除機とアイロン。なんだか慣れ親しんだ姿が見えなくて少々寂しいが、普段あっても気にかけていないのに、なんでなくなってしまってからこんな風に思うんだろうか。あまりにも、身勝手すぎるんじゃないか。
 物は大事に使いなさい。そうすれば、絶対何らかの形で、返ってくるから。

 とある話を聞いたのだが、詳細を書くことはなんとなく嫌なので、例えばの話でまとめてみる。 Aという人が寄付金を集めるため、人々に呼びかけた。一回の寄付金にまあ、私のような学生にとっては大金といえるような額を払うことになるのだが、寄付金は無償で行うことだ。だから、お金が大事な人は寄付はしなくてもよかった。
 強制には行わない。強制してお金を集めることより、その人の意思を尊重するAだった。
そして、集まった寄付金で、オブジェを作った。そう、大きな形として残した。もちろん、寄付した方たちも、オブジェのためだと知っていた。知っていてなお、寄付をした。
 それをどう思うかは、人それぞれだが、私は寄付しなかった人はそれ以外に、なにか大切なものを買うために残し、寄付した方はAに対しての好意からか、私にはわからないが、そういう風に思ったのだと思う。
 それから、その寄付にかかった金額というより、お金かどうかはわからないが、何らかの形で、寄付をした方々に幸せが来たらしい。実話なのだが、その幸せは、お金に返られない幸せなのだろう。
 不思議な話で、見返りを求めないが、何らかの形で戻ってくる。これは偶然じゃない。必然なのだ。因果応報というべきなのか。
 私は、その話にかかわりを持っていないのだが、聞いたときは不思議な気持ちになった。半信半疑という部分もあった。
 悪いことをすれば、必ず何らかの形で報いを受ける、いいことをすれば必ず、何らかの形でいい事が返ってくる。 当たり前なのだ。そういう風にできているから。