クリスマスの夜に思うこと

 今年もカップルがたくさんこの日に誕生するのでしょうね。私も・・じゃなくて知り合いが誕生でした。本当に素敵な日ですね。
 けれども、この日に限ってきつい一言が飛んできたので、傷ついた日でもあった。今日はクリスマスなのに思いやりと言う心はもてないのかっと思ったが、何かいわれても返すだけ馬鹿馬鹿しかったので、無理やり笑いながら流す。
 きっとこの一年、私はとても変わった。ちょっと昔は、きっと今よりもっと幸せだったのかもしれない。それか、本当は今が幸せなのかもしれない。
 けれども、全く違うところ。それは、心が強くなった。ほんの些細なことで、すぐ弱音を吐き泣いていた私は今はいない。まだ、悲しくって辛いときもあるけど、本当に悲しいことと、心の無い人から言われる言葉には全く応えなくなった。
 それはきっとずっとずっと、自分に甘えてきたからだ。甘えは弱さを生む。そして、なによりも大事なことを知ったのは、私は優しさとおせっかい、強さと傲慢さを完璧に間違って覚えていた。
 優しくすることが、その人は良い人だ。とか全く泣かないそして、良いたいことをズバッと言うのは強い人だ。すべて間違っている。確かに優しくすることは良いことだ。でも、それをされた側が良いことと思うか思わないかで違う。そして、良いたいことをズバッと言うのは弱いから。弱い犬ほどよく鳴くと同じこと。 怖いから、弱いからそれを認めないでずっとずっとキャンキャン言っているのだ。そう、昔の私も兄弟にこうだったな。
 今でも、私は弱さを自覚する。昨日冗談で人に良く私の大嫌いな言葉を平気で言う人に、最悪といわれた。だからどうしたって感じなのだが、怒りが収まらなかった。こんな経験めったにないけど。
 いわれた理由は、私がその人よりも同じ事をやっていて、それでその人より早く終わったからだということ。要約してみればね。 それで、「最悪。こんなに人を恨んだことは無い」と。冗談はわかっている。でも、笑って言わない冗談は嫌いだ。けれども、そんな風に人に言えるあなたは何なのですか? 私は、良く人に、賢い、勉強ができる、といわれる。けれども、私は言っては変だけど、ある一定の教科ができない。見た目で判断されているとしかいえないほど。
 それも、私はかなり苦労して生きている。昔からずっと比べられて生きてきた私は、自暴自棄になった時期もあった。どうせ比べられているんだから、どうでも良いやっと言う時期もあった。だからおろそかになってしまったといえば、それは良いわけに過ぎないが。
 だから、私を見かけで判断する人は悲しい。誰だって、もとから何でもできる人なんていない。
 もし、今回「最悪」といった人に、言えることなら、そう思うなら努力すれば良い。どうせ私はとか思うならそう思わないように次は頑張ろうと思えば良い。なぜ、イラツキや嫉妬を人に向けるのかわからない。私だけではない、ほかの人もあなたの言葉で傷ついているのだから。
 私はなびかない。だって、もう1年がたったら本格的に夢に向かって羽ばたかないといけないから。だから、くじけてはいけない。弱い人はいつか痛い目にあって気がつくのだ。己の弱さに。私は早く気づけてよかったと思う。痛い目にあわなくちゃわからないことがある。それが、この一年だった。私は弱かった。
 でも、己を恥じることは無い。だって、ようやく、本当の意味で強くなれそうだから。傷つくことはある、けれども泣かない。泣くときはきっと一緒に泣いてくれる人がいるときだ。 泣くときは、弱い人の言葉ではなく、強い人から大切なものをもらったとき。助言をもらったとき。

 なんだか、愚痴っぽくなってしまいましたが、私は今日また、そう「最悪」といった人は嫌いにはなれない。けれども、深くまで突っ込もうと思えない。どうか自分の弱さを知ってください。
 
 この一年私はたくさんたくさん良いことを知った。だから、どんな思いでも、大学へ行ったとき開花されると思う。自分の心に。ありがとう。ありがとう。そういえるように。

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