ただいま

 2日間何故か書く気に慣れなかった。それは何故なのか。理由は簡単にあらわせられないが、たぶんすごく印象で素敵で酷くて醜い心と言うものに触れたからだと思う。
 なんかこういっていると、おかしい人に思われてしまいそうだが、今日ははっきり書こう。
 ある人がとても嬉しそうに笑うから、私もどんな場面でも+思考で考えよう、そしていつも笑っていられるような素敵な人になろうと思った。そしてその人を尊敬し、憧れの感情すら抱き始めていた。といっても憧れている今も。
 その人が、だんだん話しかけてくれるようになった。嬉しかった。そしていろんなことを話してくれるようになった。楽しかった。
 いつもいつも明るくて元気な人に、私は真っ直ぐ見続けることを続けた。そして見つけた。弱さと欠点。当たり前のことなのだ。それを見つけるためゆっくり見ていたのだから。そしてその言葉を待っていた。
 誰かに頼られることは誰かに信頼されていること。その人の悲しい表情があった。笑顔も消え涙がにじむ。そんな人がいた。当たり前なのだ。みんな強くなんて無い。それが約5ヶ月前に言葉として出てきた。わかっていても実感していなかった。
 それがおとといから今日にかけてやっと実感した。
当たり前そんなの当たり前。みんな傷ついてる。それを隠すか、また表に表しているかどうかのことなのだ。つまり隠す人=強い人 隠さない人=泣き虫この間違った狂っている定義が生まれて学校と言う環境のなかで作り上げられてきた。 それがすべて違ったことをここで知る。 強い人なんていない。隠すことが正しいとも思わない。また表に出すことも。正しいとか間違ってる。そんなこと決めること自体が間違っているのだから。
 私が、今の学校にこれた意味をこれからもっともっと見つけていけるかもしれない。