それ相応の

 相手に頼りにされることよりも大半相手に頼っている昔と
まだ少し相手に頼っているけど、ちょくちょく頼られるようになった今と
どっちが大変かと秤にかけても、それはかけること自体がおかしいと思う。
 ちょっと前から突然頼られるということが多くなったけど
それは悪いところだけいいように使われている部分もある。
 大事な友人に手をかしたり、かされたり、持ちつ持たれつの関係でなければ
双方のどちらかが嫌な思いをする。それを去年知ったんだ。
 でも、今はいいように使われてむ〜んという気分になることもある。
しかしながら、断れない自分にも原因があることは忘れてはいけないと感じる。

 それで、安易な気持ちで相談にのってしまい大変な思いをしたのが。


酷く落ち込んでいる人に対し、そのとき自分と似たような境遇だと同情?
に似た気持ちで都合のいいようにいい事、いい事ばかり言っていたら
なぜか敬まわれて、それからすっごく重い相談をされるようになった。
 その人は逃げた、でも同じような境遇だといいながらちっとも同じじゃなかった。
 私は逃げなかったよ。
ちょっと辛い時期があった。日数にすればホンノちょっとかもしれないけど
私にとっては1年以上、もっと長いことに思えた。だけど、逃げなかったよ。
 そしたら、大事に思える人が出来た。相手にそう思えなくても
自分はその人とほんのひと時でも、そばにいられる時間が嬉しかった。
 「オーラの泉」を見ていえるならば、そのときに限ってよく席が近くなった。
これは偶然じゃないと思った。 助かった、そして本気で嬉しく思えた。
 今日もその人に励まされたんだけど、まあ一緒に勉強しあう仲だし(笑)
今ではそんな風になれてますし。
 でも相談相手は逃げてしまった。それで、一生懸命頑張って這い上がった自分に一言、正直めちゃくちゃ怒ってしまうような一言を言ってきた。
 諦めの言葉。
それから知ったのは、楽しい部分だけ楽しんで、辛いことばかり逃げていることだった。
 腹が立った。何してるんだって叫びたくなった。
だって、何故自分ばかり辛い、しんどいっていうの?私はしんどかった辛かった
でも、そのぶん苦しいことに目を背けなかった。何度も泣いて
何もない場所で必死に一つずつかき集めたものを全部否定された気分になった。 逃げ出すばかりで何かつかめるものがあると思うなら勘違いもほどほどにしろよ!!っていいたくなった。
 だから、思いっきり突き放した。見放した。
 それが悪いことと分かっていて、でも罪悪感に打ちのめされながらも
面倒が見切れなくなった。安易な気持ちのせいで。
 
 でも、久しぶりに相談みたいな、きっと後々いろいろいいたいことがあったのか
久しぶりにその人がやってきて、また罪悪感と、嫌な気持ちで一杯になった。
 まだ逃げていることにすぐ気がついた。
でも、いきなり12月のはじめにこれはきつかった。だからポールに頼ってしまった。  なんだかちょっと安心感と、互いにその人を知っているから分かってくれるような気がして。
 そして少し落ち着いた。ありがとね。

頼られる自分と、頼る自分なら頼る自分はなんて簡単だと思う。
 でも、頼られる自分の本当の自分にはまだまだなれない。
 昨日はポールに、今日はあの子に感謝しなきゃ。
そして相談した相手、後は自分の道は自分で決めろ。
 そうじゃなきゃ、好きなことばかりしていて成功しない、見えない
すすめない。