思い出して御覧なさい。

 今日、久しぶりに出かけた。学校は午前中に終わっていたため、気分良く出かけることができた。 
 大好きな雑貨屋さんで、商品を眺めるのがすき。
こうしたら、もっとこんな風に活用できるだろうなと思いを馳せるのがすき。
 いつか、大きくなって自分が使っていたらどんなに良いだろうなと思う。
そんな風に、私は楽しみができた。小さいころから雑貨や外国の商品に興味を示していた。これはいつになっても変わらない。 きれいな飾りのSWAROVSKI*1が大好きだった。本当は、たくさん集めたかったが、簡単に買っていけるようなお金じゃなかった。ひとつは、クリスマスプレゼントとしてもらったが、それから絶対自分で集めようと思い、買ってもらいもしていない。
 何も、基本となる好きなものは変わっていない。歌とか、服とかそういうものはやっぱり成長とともに変わってしまうが、好みはもう変わらないでいる。
 そう、成長とは不思議なもので、あんなに所有権の強かった私も、今では所有権を求めることよりも、自分が何をできるかを気にするようになってきた。良い意味で考えれば、私は変わったんだと思う。
 それが、今日その大好きな雑貨屋さんに小さな小さな女の子がいた。いわゆる、「悪ガキ」という風にまとめられていそうな子供だった。 そのとき、雑貨屋さんにはたくさんのインテリア、料理、普通の本などがあって、本当に楽しい場所なのだが、私は絵本を見ていた。
 懐かしい絵本が手の大きさぐらいの小さな絵本になっていたのだ。これは飾っていたら可愛いなと思い手を伸ばした瞬間、その女の子が、
 =これは、●●ちゃんのだから〜(小さい声で触らないの)=見たいな事を言ってきた。小さな体で、商品を覆い隠し。 ただ、それだけなら可愛い子供の行動だと割り切れる。けれど、その商品を乱雑に扱うのだ。これには物を大切にしましょう精神の私はムカッと来た。 怒ることは嫌い。だから必死に怒りを押さえつける私。それで、よく一ヶ月か二ヶ月に一回、お腹が痛くなった。
 それから私は絵本コーナーの横にある、お菓子の本を見ていたら、まだ商品を落としている音が聞こえてくる。 私ですら、小さいころはかなり厳しい教育をされてきて、物を落としたり乱暴に扱うことなどできなかった。
 こんなことは言ってはいけないかもしれないが、やっぱりしっかりと教えるべきだ。それに、何故小さい女の子を一人にさせるのか。不思議で堪らない。
 
 そして、今思い出したのが、小さいころ私は親に束縛されていたと思っていた。すべてを許してもらえず、やることなすことだめだと言われてきた。遠くいに行くのも、一人で出かけるのも。 それは私を守るためだったんだ。 そんなこと簡単にわかるのに、何で小さいころって頭が回らないんだろう。

 それから、3時間ほどブラブラして帰ったが、今ではすっかり家が落ち着く。外に出かけないと、本調子は出ないけど、将来子供を教育させる立場にたったら優しく教育していける人になりたい。優しく、そして厳しい一面も。それはすべて子供を守るためだと知ってほしいな。

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