昨日は、感情の怒りについて書きました。が・・、今日は努力のことについて書きたいと思います。 私はどちらかというと、人をすぐ信頼する、いわば、お調子者なのです。だからか、人に裏切られるとすごく凹むし、疑心暗鬼になります。
 そして、高校に入って、ますますそれがエスカレートして、気分転換に私は私なりの人生を送ろうと考えていました。何よりも必要なのは、私にとって忍耐だった。どんなに、仲良くなっても、人と人は時間は関係ないのに、どうしても昔の旧友にはかなわない。それがつらくつらく、また私も旧友を懐かしく思ってしまう。感情は人を大きく左右させ、良けれども悪けれども自己責任となる。そう感じた。
 
 今日起こったことは、本当に本当に悲しかった。ゆえに大きく、力強さを見せ付けてくれた。目の前にとても明るい子がいた。とてもとても素敵な子だ。だけど、いっつもいっつも笑うから、私はこの人はどうしてこんなにも明るいのだろうか。どうして時々寂しげな表情をするのかと、よく考えていた。 (自己紹介にも書いたように、私の洞察力は自信過剰なくらい得意だ) それから、まもなくして、その人の悲しみを知った。私も悲しかった。なきたくなった。やり場の無い思いを感じた。その子は素敵だ、だから私はすこしや気持ちを焼いていた頃もあった。それから、私はうらやましかった。その子には必ず柱がいたから。それでも、それでも誰にもどうすることもできない悩みを持っていた。
 そう、その子は一生懸命生きているんだ。悲しみを表に表さずに必死で何もかもすべてを楽しもうとしている。時には悲しい顔をしているのをどれだけの人が知っているのだろうか。どれだけの悲しみを理解している人がいるのだろう。私も、私も、まだその子の悲しみを理解できることができない。理解するにはたぶんもっともっとかかる。だけど、聞いてあげられた、話してくれた。私を許してくれた。それがうれしかった。悲しかった。忍耐強さ・・その子にはあるんだ。だからどうしてもあこがれるんだ。 その子には、もう戻せない悲しみだけど、その悲しみがうそじゃないように、また私は裏切られていないのか、と思わないように。 裏切られたとしても今日話してくれたことを忘れないように。
 忍耐・・それは耐えることじゃない、必死に必死に生きていく人がすべてを笑って生きていける強さのこと、。