私は

 多くのものを大事にしようとしたとき、
結局どれが一番大事に出来たとか、
どれは一番大事に出来なかったとか、
そういう差が出てくると思ったんだ。
 だから、私は数少ないものを大事にしていこうと思ったんだよ。
その一つも、落としてしまえば、壊れてしまって、
それを必死に壊さないようにして、力強く守っていても、
疲れるだけなら、その一つを惜しむことなく諦めたほうがいいと思ったんだよ。

 結局私は、各地最高5つの大事なものを愛しく思えるんだ。
その愛しさは、変わることなく今もここにある。
 突然できる愛しさもあれば、徐々に生まれる愛しさもある。
そして、私を愛しく思ってくれる人がいる。そう思えるんだ。
でも、あれは愛しさというより、疲れのほうが勝ってるのかな。
 もうわからないから、なしにしよう。どうして欲しいのかわからないから。

人は、必ず誰かを愛するでしょう。恋愛でも、友情でも。
そこには礼儀がある。だからずっと一緒にいられるんだよ。
 でも、家族の間にはたまに、どんなに血がつながっているから
何を言ってもいいと思って、 日ごろのストレスをぶつけることがあったり、
機嫌の悪いときはそっけない態度をとる。これは悪いことだ。
十分承知して、私も今までそういうことがあるたびに、家族だろうが
なんだろうが、ちゃんと誤ってきた。悪いことに対して誤ることを知った。
 

愛しいと思ってくれるのか、ただの家族を求めているのか
言いたいことを伝えられるのか、いい関係でいたいだけなのに。
 多くのものを大切に思うことは難しい。
 私は、また多くのものを得て、本当に大事なものだけ持っていくよ。
落ちたものは、きっと振り返らずにそれもまたいい思い出として
記憶に残していくよ。